ローコスト住宅が、もてはやされています。
ローコスト住宅専門会社が全国に展示場を建て、ものすごい勢いで成長しています。派手な宣伝や強引な営業手段など、地元の工務店にとっては強敵です。
来年度の税制改正案は、新築やリフォームを計画されている方にとって、大きなメリットはないように思います。むしろ、住宅取得減税などは、控除額が今年度より少なくなってしまいます。もし、消費税がアップすると、高額商品である住宅にとって大きな打撃となり、家を建てる人は激減してしまうでしょう。
唯一、優遇される税制は、中古住宅に対して築20年以内で、耐震性が認められれば減税の対象となります。ただ、現段階では決議されてはいませんので、あくまで予想でしかありませんが、大きく変わることはないでしょう。
では、これが何を意味するのかといえば、これから少子化や高齢化などの社会現象を考えると、新築住宅の着工数は減り、中古住宅溢れてきます。
その上、現在でも、老夫婦が郊外にある家を売却して、便利な都心に住み替える人が増えているそうです。大きな家は維持管理が大変ですし、車がないと生活できない田舎では済みにくいという事情でしょう。
ますます、中古住宅が余り溢れてきます。
そこで、政府や有識者は、中古住宅を流通させようと、中古住宅に有利な税制を立案していると思われます。アメリカ並みに中古住宅を売ったり貸すなどの狙いがあるようです。
では、中古でも売れる住宅はどんなものでしょう。当然、きれいに使われていて、耐震性の高い安全な物件でなくては流通しません。そのためには、がっちりとした家で、住みやすそうな家を造っておかなくてはななりません。
ローコスト住宅で、20年や30年でガタがくるようでは売りたくても売れず、貸したくても借り手がいやがるようではどうになりません。その上、壊してしまうにも、産業廃棄物問題で多額の費用がかかるようでは、結局、「ローコスト」ではないのです。
これからの住宅は、むやみやたらと建て替えすることを考えないで、今から、流通できる家づくりを考えた方が、むしろローコスト住宅だといえるかも知れません。
先月、北海道札幌に「抗酸化工法研究会・全国大会」へ参加して来ました。
抗酸化工法については、以前のニュースレターでお伝えしましたので、多少ご理解していただけているのではないかと思います。「抗酸化工法」とは、酸化を抑制する物質(これを抗酸化溶液といいます)を使って、住宅の基礎や床、内装などを施工します。
すると、家の中の空気がきれいになって、シックハウス症候群やアトピー、アレルギーなどが改善されるという不思議な工法です。
今回、活用方法として、住宅だけではなくケーキ屋さんのオーブンやサウナ風呂にも採用でき、今まで苦しめられていた症状が驚くほど良くなったという人たちの体験談を聞くことができました。
この全国大会に、文字通り全国から、工務店はもちろん、抗酸化工法で家を建てた人やケーキ屋さんエステサロンの経営者など、1500人が参加していました。
この中でも、「未来のケーキ」というお菓子を作って販売している「アン工房の今さん」のお話が印象的でしたのでご紹介します。
今さんのお客様の子どもが、ひどいアトピーで毎日毎晩、体中を掻きむしっていたそうです。そのため、お母さんの睡眠時間はなんと1時間。しかも、アレルギーのせいで食べられるものは、ごく一部に限られていたようです。
そこに、今さんの噂を聞き、せめて甘いものを子どもに食べさせたいと思ったお母さんが、「アン工房」のケーキを買って試したそうです。恐る恐るケーキを口に入れ様子を見る、結果は「バンザーイ」と大喜びした子どもとお母さん。
普通、子どもがケーキを食べることはごく日常的のことで、食べることができない子どもがいることさえ知らなかった私は、涙なくしては聴かれなかった感動的なお話しです。
この、お菓子の秘密は「抗酸化工法」で作ったオーブンにありました。このオーブンで作ったお菓子やケーキは糖尿病や卵アレルギーなどの子どもたちが食べても、何の悪影響がないそうです。私も試食してきましたが、ふっくらとてほのかな甘みがあり、おいしく頂きました。
抗酸化でできたオーブンがこれだけ人に喜びを与えることができるならば、抗酸化工法の家に住んでくださる人に、毎日快適に過ごしてくれるだろうと、仕事にますます意欲が湧いて来たことに嬉しさを感じました。、
私たち日本人は、世界で最も風呂好きな人種といわれます。
昔々、日本人はいつから入浴、お風呂に入るのが習慣になったのでしょうか。
私が調べた限りでは、奈良時代にもう、かまど風呂があったと文献に記されていました。また、地域によって風習が異なり、蒸気浴(サウナと同じ原理)といって、岩むろを熱し土がまで湯を沸かして、温水をまいて蒸気を上げ高温多湿状態にして発汗させる方法があったというから驚きです。
今のようにお湯につかるより、この蒸し風呂が普通であったようです。
湯浴、つまりお湯につかって入浴する始まりは、やはりいたる所に温泉があったからで、古い古い時代からあったに違いありません。
今のように浴槽につかるようになったのは、桶が作られた頃で平安時代から一般的になったそうです。岩むろのように固定した風呂は位置が限られます。移動できどこの場所でも入浴できるメリットが受けたのでしょう。
また、銭湯の始まりは、寺院などの施設に健康医療のために、貧者に解放した施浴が、鎌倉時代に町湯に変わり、さらに江戸時代には公衆浴場が大繁盛したといわれます。
やがて、銭湯には休憩所が設けられ、湯茶がもてなされ、社交場として庶民にかかせない施設になり、湯女もこの頃から庶民化したといわれます。
明治時代には、五右衛門風呂が一般家庭にも設置されるようになり、今の浴室の原型が確立しました。私が子ども頃は、薪に火を焚き湯を沸かしたものです。家族は同じ時刻に入浴しないとすぐに冷めてしまい、再度沸かす手間が大変だったことを覚えています。
現在は、湯を沸かすというより、湯を注ぐ(給湯)ことが当たり前になり、さらに、自動お湯はりや自動温度調節が常識的になってきました。
そして、入浴は身体の清潔を保つというより、リラクゼーションのための入浴になり、1日の疲れを癒すためにかかせません。あなたはお風呂でリラクゼーション楽しんでいますか。
家という器に住むようになって以来、「台所」はなくてはならない場所です。
いうまでもなく、台所は食べようとする材料を調理する所です。
昔々、まだ家などといった器がなかった頃から、家族や一族が集まって食事をとりました。とった獲物を、石を積んだカマドに火を焚き煮炊きしたと思われます。火を焚くのは料理のためだけではなく、暖をとることや明るさを確保すること、何よりも外敵を近寄らせないためでしょう。
石積みのカマドは、もう一つ大切な役割りがあります。それは、家族のコミュニケーションの場であるということです。その頃は、カマドの回りがリビングになっていたと思うのですが、この風景は今も昔も変わりません。
住居らしい建物ができた(竪穴式住居や高床式住居)時代でも、台所は家の中心にあって、心身共に家族のエネルギー源であったと考えられます。
台所と同じ意味の言葉に、厨(くり)・厨房・勝手場・炊事場・調理室などといった言葉があります。お寺の庫裏(くり)は、お坊さんが住まいとする場ですが、元々は「食事を整える建物」でした。お寺は多くの人のために、食事を作る必要があり、作る場所を厨(くり)と言ったのです。
レストランの調理する部屋のことを「厨房」と言われるのは、その意味から来ているのだと思われます。勝手場の「勝手」は「好きなことばかりして」とわがままな言葉にとられますが、「勝手」には「都合の良い、便利が良い」と言う意味があり、恐らくここから「勝手場」が台所であったのでしょう。
話しが少し逸れてしまいました。今のようなキッチンになる前は、かまどに釜を乗せ煮炊きした炊事場が長く続き、昭和30年代後半まで農村に残っていました。
ステンレスの流し台や調理台ができたのは、住宅公団が狭い場所でも使えるようにと開発されたものです。当時としては画期的な機器で、すっきりとして清潔、非常に使いやすいという利点があり、あっという間に全国に広がりました。
住宅の台所は、家族とその来客のために限られて料理を作ります。専門的な機能は必要ありませんが、和食や洋食、中華など何でもこなさなくてはなりません。ですから、最大公約数的な機能を持っていることが大切です。
家事の中でも生命にかかわる大切な作業ですから、清潔に楽しく料理できる所でありたいものです。機能的に優れたシステムキッチンが主流になり、奥様の腕の振るい甲斐がある場で、レンジで「チン」はいかがなものでしょう。
日本古来の住宅といえば、和室を思い出す人が多いでしょう。
伝統的な和室は、土壁と畳と障子というイメージがあるでしょう。和室に畳はつきものですが、いつ頃から畳が使われていたのかご存知ですか。
日本の住宅の起源は、竪穴式住居だといわれます。地面を掘って、その上部にカヤ葺きの屋根を掛けただけの簡単なものでした。床は土間で、その上にワラやモミを敷いて生活していたようです。
日本の高温多湿から、床を地上から高く上げるようになり、ネズミや外敵からの害を避けるのに高い床は都合が良かったようです。これが「高床式住居」といわれた住宅です。
高床の床は板張りで、土足で仕事をする場所と、履物を脱いで上がる「オイエ」といわれる、2つの空間に分かれました。
奈良時代に、板敷きの上に座る時、草で編んだ座具が用いられ、平常はたたんでおくので「タタミ」といわれたそうです。これが「畳」の起源だとされています。(西山夘三著:住まいの考今学より)
始めは、座具だけでしたが、やがて床全体に敷かれるようになり、江戸時代には農家や町屋にも畳の部屋が多くなりました。しかし、平常は損耗を避けるため、部屋の片隅に重ねて置き、来客やイベントなどの時だけ敷くという住み方もあったようです。
座具は、その厚さによって身分の上下を表し、「相手を威圧する」というシンボルとして重要な意味を持ったようです。よく、映画のシーンで、牢屋の中の「親分」が畳を重ねて座っている場面を見たことがあるでしょう。
座り方も身分の差によって違い、両足をそろえて前に出す楽座は、相手に威厳を示したといわれます。正座はかしこまって敬意を表する形として定着し、戦前では「正座」は儀礼的な座法となったそうです。
畳は、ワラを土台として、その上にい草を編んだムシロをかけて仕上げたものです。適度なクッションと吸湿性があり、優れた伝統的な日本の床材です。
ところが、最近はスタイロ畳といって、発砲スチロールにい草をかけた薄い畳が出回っています。厚さは20ミリから30ミリが多く、「本床」というワラを使った畳は60ミリです。身分の上下をいうつもりはありませんが、本物の畳の気持ちよさを、ぜひ味わって欲しいものです。
つい最近まで、家の中に「床の間」は常識的に存在しました。
田舎では、10年ほど前まで、住宅は和室が中心で、洋間といえば子供部屋ぐらいでした。1階には応接をかねた「座敷」があり、そこには必ずといっていいほど「床の間」がついていました。
時代の違いでしょうか、床の間は、今ではほとんどが飾り物を置くだけの無駄なスペースと受け止められています。では、なぜ床の間がどこの家にもあったのか、考えてみました。
床の間の始まりは仏教から来たようです。
禅僧の住居には、壁に仏画を掛け、その前に机のようなものを置き、花瓶・燭台・香炉の「三具足」(みつぐそく)を置くところを「床」といわれました。これが、床の間」の始まりだとされています。
支配層の武家(ぶけ)邸宅では、書籍や茶道具を飾っておく棚を、床の間の横に設けた「違い棚」がありました。さらに講学(勉強)するために、窓際に机を造り付けました。これを、付け書院」といいます。
現在でも、和室にこだわる人は、床の間の隣に床脇を設け、違い棚や地袋、天袋を付け、さらに、書院を付ける人がいます。もっとも、昔のように機能させるためのものではなく、風格を上げ格式を重んじるためのものになりました。
やがて、武家邸宅だけでなく、町人や遊興施設などにも床の間形式が受け継がれ、現在に至ります。その証拠に、ちょっと風格のある旅館の客室には、必ず床の間風のコーナーがあるのはこうした影響からでしょう。
戦後の、借家でさえ、簡易な置き床や釣り床といった床の間がありました。
このような伝統的な造形は、しきたりと接客を重んじ、「住む人」よりも「家柄」を大切にする風潮があったためだといわれています。
時代は、「家柄」から「住み手」を重んじる考え方に変わり、自尊心を満足させるための「座敷」や「床の間」は不要になってきました。
でも、やはり「日本家屋」らしさや伝統を少しぐらい残しておいてもいいのでないかと考えるようになった昨今です。本来、「床の間」は仏教の教えを学ぶための機能を持っていたのです。
先祖を思いやる気持ちを持ち続けるためにも・・・
今風の住宅には、バルコニーやベランダを設けることが当たり前のようになりました。
集合住宅の2階以上の階には、必ずベランダが付いています。集合住宅の場合、ベランダが唯一外部との接点になるからです。布団を干したり、洗濯物を干すために欠かせないスペースです。
しかし、本来、ベランダは物干すためのスペースではありません。建物全体を眺めると、洗濯物がヒラヒラしていては、余り感じがいいものではありません。
ベランダはバルコニーともいい、西洋から輸入されたと思うでしょうがそうではありません。日本でも、すでに室町時代にベランダがあったのです。ところが、ベランダから隣の家を覗く不届き者がいて、「ベランダは覗き見するもの」として、長い間ベランダを作ることを禁止されたのです。
室町時代の幕府、足利義満が、その権威を象徴するかのように豪華な別荘を造営しました。その豪華な別荘の名はかの有名な「金閣寺」です。ですから、金閣寺は元々住宅だったというわけです。
義満の死後、その命により「寺」となったと記されています。(中川清兵衛著「日本住宅史の旅」より)
壮大な別荘の庭を、「高い所から眺めたい」という義満の欲求がベランダを作らせたといわれます。今のように1面だけでなく、四方が眺められるような造りで、これを「楼閣」といいます。
この楼閣がやがて、お城の天守閣に発展しました。
天守閣は、敵の動向を観察するもので、自分の身を守るための「回廊」です。ですから、なるべく高いところにあり、四方を観察できる回廊であったほうがいいのです。
話しを戻して、庭を眺めるための楼閣は、美しい木製の「手摺」が設けられ、その曲線は見事なものです。しかも、回りの自然と溶け込んでいます。今のような無骨な縦格子ではありません。
ベランダは、あくまで特殊な建物に限り許され、一般に普及したのは明治に入ってからのことです。
ベランダで物干しに利用する現在とは、趣がまったく違いますね。せめて、ベランダに小さな鉢植えやプランターなどを置き、緑を楽しんで欲しいものです。
※用語の解説 ベランダ:壁から突き出した廊下状もので、屋根付きのもの
バルコニー:ベランダと同じだが、屋根のないものをいう (建築用語辞典より)
いつの世も空き巣狙いはいるものです。
都会では空き巣狙いが急増していると、新聞で知りました。この情報では、昨年よりも20%も多発し、7年連続して、戦後の記録を更新しているとのこと、驚きと同時に残念でなりません。
空き巣狙いの手口の7割が、「ガラス破り」で室内に侵入しているそうです。本当に恐ろしい時代になったものです。給料が上がらず、ボーナスはカット、その上ドロボーに狙われては泣くに泣けません。
実は、弊社の客様が本当に被害にあったのです。手口はやはり「ガラス破り」だったのです。事実を知ったのは、ガラスの修理の依頼を受けた時でした。
被害にあった手口はこうです。いつものように、仕事に出かけ、いつものように何気なく一枚の雨戸が出ていました。犯人はその一枚の雨戸をそっと動かし、ガラスを割り中に侵入した模様です。
犯人は事を済ませ、出て行く時にご丁寧にも雨戸を元に戻していったため、普段と変わらぬ様子にドロボーに入られたことにまったく気づかなかったとのこと。雨戸の陰に隠れていたため、割られたガラスに気づくのが遅くなりいつ入られたのかも分からず、結局、警察に届けることもできなかったというのです。
幸い、被害はなにもなかったようですが、雨戸を開けたときは「ぞっと」したそうです。
防犯対策に、どんな方法が良いのでしょう。
一番簡単なのが、家の周りに「砂利を敷く」ことです。砂利を踏むと「ジャリ、ジャリ」(洒落ではりません)と音がしてドロボウが嫌がるそうです。家の人も音に気づきます。
そして、雨戸はきちんと閉めて出かけましょう。この方のように中途半端はいけません。最近、雨戸よりシャッター式雨戸が多くなりました。雨戸と違い作業は簡単です。さらに、電動シャッターならば楽な上に、より安全です。電源が入っていないと、どうやっても開けることはできません。逆に、停電などの時は窓から出ることができません。
そして、作業がまったく不要なのは「防犯ガラス」で防ぐことです。2枚のガラスの間に特殊なフィルムをサンドイッチさせたもので、バットで叩いてもヒビは入りますが、割れ落ちるのに相当な時間がかかります。ドロボーも諦めてしまい、逃げ帰ります。
ただ、お値段は高く掃き出し窓で13万円ですから、ちょっと高価ですね。今使っているサッシにも取り付けできますから手間はかかりません。
費用対効果で、ドロボーに入られた時の被害を考えれば、果たしてどちらがお徳でしょう。ご判断はあなた次第です。
家の中心にあるのがリビング(居間)です。
建物の中央にあるという意味ではなく、「生活の中心になる場所」という意味です。リビングは、家族の集まる場所で、ここで家族はコミュニケーションを交わし、生活の潤いを得る大切な場所です。
リビングという言葉が一般的になったのは、1950年代高度成長期の建設ラッシュの時代にアメリカ様式をまね、イスに座る生活が流行したときからです。
それまで、日本にリビングがなかった訳ではなく、「茶の間」という日本独特のリビングがありました。
ちょっとした農家や商家の大きなお屋敷には、囲炉裏や掘りごたつが設けられ、排煙のために高い天井もしくは吹抜けがありました。囲炉裏や掘りごたつがリビングであり、重要な家用具です。
一般の住宅は、4畳半程度の狭い部屋で座卓(ちゃぶ台)が一つ中央に置かれ、食事と団欒は同じ部屋で行われていました。中には、座卓を片付け、寝室としても利用していた人も少なくありませんでした。
今のような、洋室にテーブルを置き、ソファーでくつろぐという生活が日本で行われるようになったのは、明治時代に逆上ります。江戸時代の鎖国が終わり、西洋の文化が流れ込んだ時代に、外国の要人たちの住宅を真似て作られたものです。
リビングには、象徴的に暖炉と煙突があり、高い天井と木質のフロアー、そして、格子状の窓といった具合いです。座敷という座る生活に慣れた日本人には、ごく一部の富裕層を除き、そう多くの人に広まったわけではありません。
長崎の明治村に残っているグラバー邸は、現存する木造の洋館としては最古の建物として有名です。南に面したベランダやペチカが独特のスタイルを醸し出しています。
このグラバー邸は、外観を真っ白に塗装されて、当時の日本家屋にはないデザインで、地域の人々は想像を絶する驚きを示したとあります。
日本人は、西洋人と違い短い時間で食事を済ませます。
食べ終わったらすぐに、テレビの前に行ってしまうご主人やすぐに自分の部屋に閉じこもってしまう子どもがいたら、食事と団欒を同じ部屋にする方がコミュニケーションが取れるかも知れません。
「茶の間」という生活スタイルを見直したほうがいいかも知れません。
話しが少しズレますが、日本人が「はし」を使うのは、たった2本の棒でほとんどの食事がとれ、指を使えば脳の働きも良くなります。こうした素晴らしさを自覚しているからでしょう・
西洋文化を取り入れたリビングが悪いとは決して思いませんが、「はし」や「茶の間」などの文化を絶対になくしてはならないと思います。
年末になると、なんとなくせわしく感じます。
12月を「師走」といい、普段落ち着いている先生や師匠でさえ忙しく走り回る月、という意味をここで改めて言うことでもないですね。あるいは「年の瀬」ともいいます。
年末になると、新しい年を迎える準備をします。昔、どこの家でも、晴れた日に畳を上げほこりを払ったものです。
ところが最近、畳を丸干しする風景をほとんど見ることがありません。掃除機が発達し、ほこりは吸い取ってしまうため、パタパタと叩いてはらう必要がなくなったのでしょう。
あるいは、和室そのものが少なくなり、しかも、和室は客間で普段あまり使わなくなったからかも知れません。それとも、人間が横着になったからでしょうか。
和室には、建具として障子やふすまが使われています。障子も年末になると、古い紙を剥がしきれいに洗って張り替えたものです。この作業もあまりみることがありません。
現在の障子紙は本当の紙ではありません。紙の繊維にアクリル繊維をまぜた「紙もどき」といたほうがいいかも知れません。従って、破れにくく色も変化しません。だから、毎年張り替える必要はありません。
この障子は、使い方によっては素晴らしい効果があります。サッシの内側にこの障子をつけることがあります。内障子といって和室のデザインにはかかせません。この内障子が立派な断熱材になります。
サッシと障子の間の空間が断熱層になるからです。ペアガラスも優れた断熱効果がありますが、伝統的な障子を見直してみたいものです。決して、洋室に使用してもアンバランスではありません。
さて、冬支度に欠かせないものが暖房器具です。
ところで、火鉢をご存知でしょうか。今の若い人たちは使ったことがないかも知れません。
瀬戸物の鉢に、炭を起こして暖をとる昔の暖房器です。火鉢で全身を温めることはできません。せいぜい、手先や胸の辺りだけを温める程度です。
昔は、これしかありませんでしたから、火鉢に家族が寄り添って暮らしたものです。母親が、たまに火鉢でスルメや餅を焼いてくれ食べた記憶があります。それなりに楽しい一時があったのです。
各部屋に一台づつエアコンがある現在とは、一味違った生活風景がありました。そういう点で、家族のコミュニケーションがとれていたのだと思い出します。
最近、若い女性にこの「火鉢」が人気だそうです。もちろん、暖をとるためではなく、インテリアとしてオシャレだそうで、瀬戸物ではなく木製の火鉢で、その上にガラスを乗せ、テーブルとして使うそうです。
時代が変わると、同じものでも意味が違う、この考え方の違いに年のせいかついていけなくなりました。
一日に何度となくお世話になるトイレ。
何気なく使っているトイレは、私たちにとってとても大切な場所です。、
昔々、まだトイレという場が存在しなかった頃、私たちの祖先は毎日の排泄をどうしていたのでしょう。人間も、他の動物と同じように野山のいたる所に排便していたようです。
やがて、一定の場所に穴を掘って、一杯なると埋めて他の場所に移動する部落と、水辺の近くで用を足し、汚物は水に流すという部落があったそうです。
いつかトイレも進化し、高野山放流式便所という日本で最初の「水洗トイレ」ができました。川辺の付近に小屋を建て、桶に水をためて洗い流した汚物を、溝を掘って川まで流したというよく考えられたトイレです。
しかし、人口が増えると処理しきれなくなり、汲み取り式便所が主流になったようです。
農業が盛んになった時代は、大小便が高値で売れるようになり、特に、殿様など上流階級の物は特別な値段で取り引きされたようです。こうした人たちは、食べるものが豪華だったからでしょう。
汲み取り桶も進歩し、白川郷の農家では2層式の大きな便層が使われていました。これがヒントで溜め桶式の便層ができ、粘土を使ってできた便層が流行ったようです。
近年、プラスチック製の便層ができ、浄化槽が開発され、そして下水道と進化してきました。便器も和式から洋式へとなり、今ではしゃがんで用を足すことを知らない子どもがいるようです。
また、ウォシュレットが当たり前になり、自分の手で拭かなくても洗ってくれるようになり、大きく進歩しました。
現在のトイレは、単に用を足すだけではなく、物事を考えたり読書のためのプライベートな空間となってきました。
さらに、リラクゼーションスペースとして、香りによるアロマコロジーやテレビやCDが楽しめるAV機器をトイレに設置する家庭もあります。
テレビCMでは「トイレは我が家のリビング」とキャッチを流しています。もはや、トイレは「癒しの空間」でなくてはならない時代となりました。